2015年1月22日
ホテルグランヴィア広島において、LNGジャパン(株)中国支社長 高田 明様を講師に迎え、講演会を開催しました。「インドネシア駐在を終えて」という演題で、ご講演をいただきました。
〈ご講演要旨〉
インドネシアでの駐在経験を通じて、私が感じたインドネシアについて、人・文化・エネルギー新政権を中心にお話いたします。まず、インドネシアの特徴としては、歴史・文化的にも日本人に親しみやすい人達で世界第4位の人口は労働力としても市場としても魅力的で、資源も豊富、地政学的にも大変重要な国と言えます。
当社とインドネシアの関わりは、1970年頃にインドネシアの天然ガスが発見され、1973年のインドネシア初のLNG売買契約以降、インドネシアと日本のLNG買主との橋渡し役として、40年に亘りインドネシアLNGの輸入に携わってきております。また日本初のインドネシアLNG船建造・輸送にもかかわっています。その他、アチェの津波の折には、被災した子どもたちへの奨学金や、移動図書館などの支援活動もさせていただいています。
そして私自身は、1986年~1989年に1回目のインドネシア駐在を経験しました。ボルネオ島のボンタンLNG基地での仕事でしたので、暮らした場所は赤道直下のジャングル。オランウータンがいるところです。当時は、陸の孤島のような場所で、電話は1本しかなく新聞も週に1度、テレビは国営テレビのみ。日本のTVドラマ「おしん」を楽しんでいたことを思い出します。当時、私はマラリアにもかかり2週間入院したのですが、現地の方がたくさん心配して駆けつけてくれました。インドネシアの方はいつも笑顔で温かく、私は初めての駐在にもかかわらず、まず感じたのは「懐かしさ」でした。
2回目の駐在は2009年から2014年です。民主主義の父と呼ばれるユドヨノ大統領2期目の時期で、治安も良く経済も成長し続け、国際化・民主化が進められていました。インドネシアの親日感情は高く日本文化も浸透していて、日本の衣料品店や飲食チェーン店もどんどん進出し、日本車の割合などは95%にものぼっていました。東日本大震災の折には、日本に向けてLNGの緊急供給もいたしました。
インドネシアには島々がたくさんあり、民族も多民族に及びます。出身地によって文化や宗教も異なるため、初めて会う相手と話をするときは、まず出身地を聞き、その民族背景を尊重しながら話すようにしていました。宗教は、イスラム教の方が8割を超え、毎日5回のお祈りや断食など、その戒律は生活の一部となっていて、接する私たちも気遣いが必要となります。ただ、中東のイスラム教信仰とは異なり、緩やかな信仰のように見受けられました。私も断食を経験しましたが、自らを律し空腹の人の気持ちを理解し、断食後に食する時の周囲との一体感は貴重な経験となりました。
ところで、インドネシアで過ごす中で感じたのが、時間軸の違いです。日本人の感覚では、この時間で間に合うのかな…と心配になるような事象も、彼らは笑顔で難なく乗り切ります。そこには時間は少々のんびりしていても、心がこもったおもてなし、人柄の温かさがあります。それがインドネシアの良さだと思います。日本に帰国すると、電車の時刻表が分刻みであり、時間通りに運行されることに、逆に驚くほどでした。
ジャワ島を横断したときに気づいたのですが、限りなく広がる田園風景が日本の農耕社会に似ているということ。今のインドネシアは1960年代の日本のようだといわれています。当時の日本は地域のつながりや人の絆が強く、今よりも心のゆとりがあったのでは…と思うことがあります。インドネシアで私が感じた懐かしさやぬくもり、心地よさは、昔の日本を彷彿とさせるものがあったからかもしれません。インドネシアは「世界一笑顔が多い国」と欧州調査機関が述べているように、いつも笑顔で人同士のつながりが深く、助け合いの精神が高い国だと思います。
現在のジョコ・ウィドド大統領は庶民的な大統領で、「勤労迅速」「助け合い」「海洋国家」に力を入れています。今後さらに民主化が進み大国となり、資源供給や矢状面でも重要度が増して、日本との関係も拡大していくことでしょう。広島インドネシア協会も両国の架け橋として、ますます発展されることを祈念いたしております。