広島インドネシア協会  

活動実績

講演会・交流会

2018年1月17日

ホテルグランヴィア広島において講演会・交流会を開催し、168名の方々にご出席いただきました。講演会は「EPA外国人看護師・介護福祉士受入制度と体験談」をテーマに、講師2名にご講演いただきました。交流会では留学生による歌の披露や帰国留学生への記念品贈呈などが行われ、温かい雰囲気に包まれました。

 

第1部「EPA外国人看護師・介護福祉士受入制度の概要」

【講師】(公社)国際厚生事業団 受入支援部部長 稲垣喜一 氏

EPAにおける外国人看護師・介護福祉士は、インドネシア、フィリピン、ベトナムの3カ国から受け入れています。「人材不足対策として受け入れるのか」という声をも聞きますが、そうではなく、経済活動の連携強化のため、特例的に看護や介護の専門家を受け入れています。来日する候補者は単なる労働者として働くのではなく、日本の国家資格を取得するよう、受入施設が責任を持って研修等の受入体制を整えますので、長く日本で働くことが求められます。また、日本政府も就労開始前の1年程度の日本語等研修や就労開始後の学習支援を行っています。低賃金化や悪質な業者がからむことのないよう、受入施設には一定の要件が課せられますし、相手国の送出窓口も日本の受入窓口も一元化しており、日本では、私たち(公社)国際厚生事業団のみとなっています。

 

近年、看護師候補者の人数は伸び悩んでいますが、介護福祉士候補者の人数は急増しています。候補者の要件は、国によっても看護か介護かによっても異なりますが、いずれも母国で看護や介護の資格を有することや、専門分野を履修していることなどがあげられます。

 

当制度は平成20年度に開始しました。受入開始前は、文化摩擦や宗教習慣への対応など、様々な不安を訴える声がありましたが、これまで毎年、受入施設を巡回訪問し調査したところ、約80%が「職場や日本人職員に良い影響を与えている」と回答されました。受入施設の方々が事前に相手国の文化やEPAの目的などを学び、受入の環境を整えておくことなどが効果的なようです。

 

次に、受入施設における主な留意点をご紹介します。候補者同士はSNS(ライン、フェイスブック等)で活発に情報交換しているため、給与や休日、研修時間などの待遇面の向上を求めて交渉をする方もいます。その場合、各施設のルールをきちんと説明し、安易に交渉にはのらないことが大切です。また、指示したことに「はい、わかりました。大丈夫です。」と答えたのに全くできていない、ということもあります。これは、特にインドネシアなどでは、上司の指示に対して「わかりません」と答えることは失礼だと考える風習があるからです。こうした場合、指示内容を理解できたか、自分の言葉で復唱してもらうことをお勧めします。宗教習慣への対応は、イスラム教徒の場合、1日3回のお祈りができるよう、お昼には空いている会議室などを提供すること、断食シーズンには体力の要る入浴介助からはずすこと、ジルバブの着用を認めることなども良いでしょう。キリスト教徒の場合、日曜日に礼拝できるような勤務スケジュールを組むと良いと思います。

 

候補者に長く働いてもらうためには、彼らと信頼関係を築き、モチベーションを維持することがポイントです。日ごろから話しやすい雰囲気を作り、時には長期休暇を与えて一時帰国しやすい環境を作ることもよいと思います。また、候補者だけではなく、勉強や生活等の指導にあたる日本人担当者も大変ですので、彼らのモチベーション維持にも配慮が必要です。

 

今後のEPAの課題は、国家試験合格後の定着化があげられます。合格者の約7割が日本で働いていますが、キャリアアップ志向の強い方が多いため、さらなる学習支援に力を入れている施設もあります。また、国家試験合格後に帰国しても、再来日して働きたい方への対応も進めています。

 

外国人人材の多様化が進む中、EPAでも対象国から受け入れを継続する予定です。今、日本で活躍されている合格者・候補者の方々には、今後来日される候補者のリーダー格になっていただくよう願っています。

 

 

第2部「インドネシア人看護師の体験談と広島への思い」

【講師】医療法人あかね会中島土谷クリニック看護師 テレシア・マリア・トジ・ピオ 氏

東カリマンタン島ボンタンの出身で、セントカルロス大学卒業後は看護師として約6年間勤務しました。大学の先生からの紹介でEPAの制度を知り、6ヶ月間日本語を学び、2009年に来日し、広島の阿品土谷病院に参りました。最初の1年間は日本語、2年目は看護の専門用語、3年目は試験対策を学び、看護師試験に合格しました。日本政府の方からも広島インドネシア協会からも、お祝いしていただきました。透析について勉強するため、2015年1月に中島土谷クリニックの透析センターに異動になりましたが、2015年6月に転機が訪れます。交通事故で左上腕を複雑骨折したため、3ヶ月間入院し、退院後リハビリで2ヶ月間休職したのです。復職後もリハビリが必要で、腕の可動域に制限がありましたので、職場の方々の配慮で、通常の看護師業務ではなく、カルテやマニュアルの整理、学会のデータ集計などの担当にして下さいました。学会にも参加させていただくようになり、2016年6月に初めて学会で発表し、それ以来、国内外の学会で発表の機会をいただいています。

 

2014年の日本の透析医療の生存率は約90%ですが、インドネシアはわずか約33%と低く、「透析は末期医療」と認識されています。日本は1967年に健康保険が透析にも適用となりましたが、インドネシアでは2014年に国民医療保険が設立し、透析に適用となりました。実に47年も遅れているのです。

そんな母国の役に立ちたいという強い思いから、進学を決意しました。というのも、インドネシアは学歴社会だからです。今年4月から広島大学大学院看護学科に進学しますが、勤務と大学の両立ができるよう、中島土谷クリニックでは勤務スケジュールを調整してくださるなど、きめ細かく配慮してくださっています。本当に心から感謝しています。

 

私の夢は、看護師として、日本とインドネシアの透析医療の「かけはし」になることです。そして、これまでお世話になってきた皆さまに恩返しができるよう、努力を重ねたいと思います。

 

 

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